あらかぶの味噌汁 ーー第2章

父から教わった食べ方

磯から帰宅したあとの台所は、潮の香りと魚の匂いで満たされていた。

あんなに夢中になって釣り糸を垂れていた子供の頃、待ち遠しかったのは、釣りそのものの楽しさだけではない。クーラーボックスの底で冷やされた魚たちが、我が家の食卓にどう並ぶのかという期待も大きかった。

釣果はチヌやメジナ、ベラ、そしてアラカブが定番だった。魚はその日のうちに父の手によって調理される。チヌは刺身や煮物にし、骨などは吸い物にするなど、無駄になる部位はなかった。

アラカブが家族の人数分釣れていれば、内臓とウロコだけを丁寧に取り除き、頭もヒレも丸ごとの姿そのままで鍋に入れる。そして、お椀に盛られたとき、器のふちからピンと張ったヒレや頭、尾ビレが豪快に飛び出している。それこそが、我が家の「アラカブの味噌汁」だった。

面白いことに、我が家のアラカブの味噌汁は、鍋に水とアラカブだけを入れて作る。ほかの具材は加えず、仕上げにネギを散らす程度という、どこまでもシンプルな作り方だった。

それでも、アラカブの骨や身から濃厚な旨味が溶け出し、湯気とともに磯の香りが台所いっぱいに広がるのだった。

なぜ、最初から食べやすく身だけを捌いておかないのか。その理由は、実際に箸をつけてみるとすぐに分かる。

アラカブは頭が大きく、小骨も多いため、食べるのに手間がかかる。身の量も意外に少ないのだ。

そのため、普通に食べているだけでは、あっという間に食べる部分がなくなってしまう。しかし、父には食べ方の流儀のようなものがあった。

頭の部分を見ても、目の周りや頬の肉、そして顎の下の細かな肉に至るまで、余すところなく食べ尽くすための作法があった。細かな骨の隙間にある身を箸や歯で丁寧にほじくり出し、

「骨までしゃぶらな、魚に申し訳なか」

と、父はいつもそう言いながら、誰よりもきれいに骨だけを残して平らげていた。

厳格だった父が、食卓の上だけで見せる魚への向き合い方。それは、海からいただいた命を無駄にしないという、父なりの礼儀だったのかもしれない。

目の前のお椀から突き出たアラカブの頭を見つめながら、私は父の手元をじっと観察し、その細かい食べ方を少しずつ真似していった。

もっとも、成長するにつれ、いつも当たり前のように食卓に並ぶアラカブの味噌汁は、当時の私にとって決して特別なご馳走というわけではなかった。

どちらかといえば、「またか」と少し飽き飽きしている自分がいた。近所に食堂などもほとんどない土地だったこともあり、テレビ番組で美味しそうに食べているパスタやカツ丼を、無性に食べてみたいと憧れたものだった。

それが、大人になった今、街の居酒屋のメニューに「アラカブの味噌汁」を見つけて、驚いた。

子どもの頃は、身近にあふれている大衆的な魚だと思い込んでいた。しかし、いつもの我が家の味は、今やちょっとした高級な一品としてメニューに並んでいるのだ。

一尾一尾に手間暇をかけ、釣る技術と食べる知恵が伴って初めて食卓に上るその魚の価値を、大人になった今なら理解できる。

そして何より、父がこうした魚との向き合い方を身につけていた背景には、戦中戦後の貧しい時代を生き抜いた記憶があった。

父は時折、幼い頃に食べるものが十分に得られなかった時代の話を語ってくれた。魚を釣るという行為は、決して週末の気ままなレジャーや趣味の範囲にとどまるものではなかったのだ。

幼い頃、食料が圧倒的に不足する環境の中で、海で獲れるものを探し、山で食べられるものを採り、自然の恵みを一日一日とつないでいく。そうやって命をつないできた切実な経験こそが、父の原点にあった。

そのようにして培われた「限られたものを大切にし、一切を無駄にしない」という生き方は、戦後の生活を経ても変わることなく、週末の釣りや日々の食卓へとしっかりと受け継がれていた。

今の便利な生活から振り返ってみると、あの頃の我が家の食卓が、いかに贅沢で、そして本質的な豊かさに満ちていたのかに気付かされる。

荒々しくも滋味深いアラカブの味噌汁の味と、家族で囲んだあの食卓の記憶は、何十年経った今でも、私の心と舌の奥に温かい光を灯し続けている。

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