釣り人の夢

船を持つことは、釣り人の夢である。父は定年退職後に漁船を所有するようになって、波と風が許せば、毎日のように海に出ていた。父が73歳の年の年末に、私は父の操縦する船に乗って2人で魚釣りに出かけた。釣れたのは、アラカブが数匹。父が肺癌で他界したのはそれからわずか2年後である。父の船に乗ったのは、それが最初で最後となった。

父は私や弟をよく魚釣りに連れて行ってくれた。週末はほとんどと言っていいほど、防波堤や、磯にいた。父の主な狙いはチヌ(クロダイ)で、大きな浮きに撒き餌(魚を集める餌)を入れるカゴのついた仕掛けを、竿を大きく振りかぶり、出来るだけ遠くに飛ばすのだ。仕掛けは海底に向かって落ちていき、狙った水深に到達すると浮きが海面に頭を出す。そうして、魚が餌に食いつく瞬間を、磯の上に立ってじっと浮きを見つめながら、ただひたすら待つのだ。

一回の釣行でチヌが1匹でも釣れればいい方で、釣れないことも多々ある。そんな時のために、私や弟は磯の近くに竿を出して、小魚を釣っておく、釣れるのはアジやアラカブ、スズメダイといった小魚で、その他にも岩に張り付いているミナ(巻貝の一種)を採取しておく。

釣った魚を捌くのは父の仕事であり、釣りから帰ってくると、釣れた魚をクーラーボックスから取り出し、台所で勢いよく水を流しながら、手早く料理を作っていた。チヌは大きい物で2キロ程あり、刺身や煮付け、骨でとった出汁は吸い物になり、アラカブやスズメダイなどは煮付けになって食卓に並べられた。

父が操縦する船の上で、潮風と大きくうねる波に船体が揺さぶられて、気を抜くと海に落ちそうになりながら、広い海の上から海岸線を眺めると、いつもの場所が全く違った風景に見えた。開放感のある海の景色を見て、いつも父はこの景色を見ていたのかと羨ましく思った。

亡くなる直前に、病院食を受け付けなくなった父は母の差し入れたアジの南蛮漬けを美味しそうに食べていたのを思い出す。亡くなった直後は、予期せぬ癌の宣告と、それからわずか半年ほどでの他界を残念に思っていたが、あれから数年経って、どんな人生であったかの方が重要だと考えるようになった。晩年は仕事や子育てを終えて、大好きな海を満喫した父の人生は幸せだったと思う。

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