潮と風をよむ
『授人以魚 不如授人以漁』
老子
これは、「飢えた人がいたら 魚を与えるか 釣り方を教えるか」との意味である。
老子は魚釣りをあくまで例として述べているのは明白だが、ここでは文字通り釣り方そのものについて、釣り人の目線で解説してみたい。
魚釣りを始める手っ取り早い方法は、釣具屋の店員からアドバイスをもらうことだろう。それに、大型の釣具屋に行けば、その時期に何が釣れているのかが分かる様に、陳列棚にポップが掲げられていて、必要な道具一式をまとめた陳列棚だってある。
そして、道具が揃ったらさっそく海へ出かけよう。最初は、比較的安全な防波堤がおすすめだ。
釣り場には、さまざまな人が訪れるが、運が良ければ上級者に出会うことができる。上級者は、誰よりも早く釣り場に来ていて、既に大物を釣り上げている、それを見た人々は自分も釣れるのではないかとワクワクしながら竿を出すが、結局は何の釣果も得られずに終わる。
またある時は、防波堤に集まった数十名の釣り客が小魚を時間をかけて釣り上げる中、ふらっとやってきて、わずか数投で大物を釣り上げ、他の釣り客の羨望の眼差しを浴びながら早々に帰ってゆく。
魚釣りは、レジャーとして楽しめればいいし、夕飯のおかずの足しになるくらい釣れれば十分なのであって、釣りの腕が上達したいなどと殆どの人は思っていないかもしれないが、上級者が現れると、楽しいはずの魚釣りが、力量の差をまざまざと見せ付けられることで、なぜか敗北感を味わうことになるのだ。
と、ここからが本題である。上級者の存在は、上達し結果を出すには、どうするべきかについて考える機会を与えてくれる。それは、普遍的でシンプルな事だ、彼らは生まれついての上級者ではないし、経験が長いから上級者となったのでもない。
防波堤に立って、海面を眺めてみて欲しい。魚が泳いでいる姿を見ることは殆どないし、たとえ見えたとしても、見える魚は針に掛からない。海面を眺めるだけでは、そこにどんな魚がいるのか、何を餌にしているのかといった手掛かりはまず得られない。
魚を釣るためには、狙う魚の住む場所が砂地なのか、岩場なのか? 深い所にじっとしているのか、比較的浅いところを広い範囲で泳ぎ回っているのか? 落ちて来た餌を食べるのか、生きた餌しか食べないのか? 魚の重さはどのくらいで、泳ぐ力がどのくらいあるのか?これらのことを踏まえた上で、どんな仕掛けにするのかを考えて道具を準備する。そして、干潮ではない時間帯で、かつ、魚が活発に餌を食べる時間を選んで初めて海に向かう。
要するに、事前の準備によって、釣れるかどうかの確率は高められているのだ。さらに、自然とは気まぐれで、シーズンであっても天候に問題がなければいつも魚がいるというわけではなく、運が悪ければ期待は裏切られるのである。人間が自然について予測出来ることは、ほんの僅かであるということを上級者は心得ているから、少しでも確率を上げようと試行錯誤をこれまで繰り返して来たのだ。
釣り方について足早に解説してみたが、これから魚釣りを始めようとしている人も、そうでない人も、釣り上級者の目線がほんの一部分でも得られたら、釣り方が少し身に付いたと言えるだろう。