第5章:プロと賢く付き合う「半分自分、半分プロ」の分業術
1.「すべて自分でやらなければならない」という誤解
庭木の剪定を自分の手で始めてからというもの、ある種の「こだわり」や「意地」のようなものが芽生えてくる。
「年間12万円のコストを浮かすために始めたのだから、庭の木は一本残らず自分の手で完璧に仕上げなければならない」
「プロにお金を払って頼るなんて、途中で投げ出さずにやり遂げたい」
そんなふうに肩に力を入れている自分に気づくことがある。
しかし、10年間にわたって庭木と向き合い、自力でできることの限界と現実に向き合ってきた今だからこそ分かる。
「すべてを自分一人で抱え込もうとすること」こそが、庭仕事中の怪我や事故を招き、途中で挫折する原因にもなり得る。
高齢の一人暮らし世帯や、限られた時間の中で実家の庭を維持しなければならない場合、すべての作業を完璧にDIYでこなす必要はない。
大切なのは、「自分ができる範囲」と「プロに委ねるべき範囲」を冷静に見極め、両者を組み合わせることだ。
2.私が実践している「分業の線引き」
我が家の庭では、現在どのような基準で作業を切り分けているのか。
その判断基準は、非常にシンプルだ。
一つは、「高さと安全性」である。
春の軽い剪定や、低い位置にあるツツジや紫陽花、手の届く範囲のヒイラギやサルスベリの管理は、自分で三脚を立てて行う。
しかし、幹が太くて自分の力では切れない枝や、三脚の最上段に登ってもなお手が届かないような高木のマキ、屋根を超える勢いで伸びたヤマモモの頂点付近などは、自分たちの担当範囲外として線引きをしている。
もう一つは、「心理的な負担とリスクの回避」だ。
無理をして高所に登り、万が一バランスを崩して転落すれば、大きな怪我につながる可能性がある。
また、作業に時間がかかりすぎて肉体的に疲れてしまい、庭仕事自体が億劫になってしまっては本末転倒である。
「自分の命と健康を守るためのコスト」としてプロの力を借りることは、決して負けでも妥協でもない。
それも庭を維持するための、重要な判断の一つなのだ。
3.1~2年に1度のプロの依頼がもたらす「安心」
我が家では、すべてを自分でするのではなく、1年に1回、あるいは状況に応じて1~2年に1度の間隔で、信頼できる庭師さんにプロの作業をお願いしている。
すべてを自分だけでやろうとすると、どうしても見落としてしまう場所や、手の届かない「剪定の死角」が生まれてしまう。
数年に一度プロに入ってもらい、手の届かない高木などを剪定してもらうことで、自分では管理しきれない部分を任せることができる。
この「1~2年に1度プロに依頼する」というサイクルがあるからこそ、私たちは普段の日常の中で安心して、「自分の手の届く範囲の剪定」を楽しむことができる。
プロの存在は、いわば庭を維持するための「セーフティネット」なのだ。
4.プロの技を学ぶ――「最高の教科書」としての庭師
プロの庭師さんにお願いするもう一つの大きなメリット。
それは、プロの職人技を間近で見て、自分の勉強の機会にできることだ。
庭師さんが庭木に向き合うとき、作業には長年の経験が表れている。
どれだけ大きく伸びた枝であっても、「どの枝を落とし、どの枝を残すのか」を判断し、手際よく切り落としていく。
その「迷いのなさ」と「仕上がりの美しさ」には、長年の経験が積み重なっている。
私は庭師さんが作業をしているとき、邪魔にならない場所から、その手元や枝の選び方を観察するようにしている。
「あそこの交差枝は、こうやって根元から抜くのか」
「この木は、これくらい思い切って切っても大丈夫なんだな」
プロの剪定を実際に見ることで、それまで本やネットで読んだだけだった知識が、具体的なイメージとして頭に残っていく。
プロは単なる「代行業者」ではない。
自宅の庭を教材にして、剪定の考え方を学ばせてもらえる相手でもある。
プロの技術を間近で見て、それを次の自分の剪定に活かしていく。
この循環が生まれると、庭仕事はさらに面白くなる。
5.心地よい距離感で庭を守る
「すべてを自分でやらなければならない」という思い込みから解放され、
「自分ができることは自分で楽しみ、危険なことや高いところはプロに任せる」
という考え方に変える。
この「半分自分、半分プロ」というスタンスこそが、長く無理なく庭を維持していくための一つの方法だと思う。
コストを抑えながら、安全と庭の状態にも配慮する。
そして、プロの技から学びながら、自分の腕を少しずつ上げていく。
そんな余裕を持った付き合い方ができるようになると、庭の維持は単なる負担ではなく、暮らしを彩る心地よいプロジェクトへと変わっていく。

