あらかぶの味噌汁 ーー第1章
いつも釣れる「アラカブ」と仕掛けの秘密
磯での釣りは、ただ糸を垂らせば魚が釣れるというような単純なものではなかった。そこには、狙う魚に応じた仕掛けや、一瞬の判断が必要だった。
例えば、磯から狙う大物の代表格であるチヌ。その中には、大きいものでは2キロ近くに達するものもいる。
足場のすぐそばまで激しい波が押し寄せるような磯の先端では、のんびりと腰を下ろしているわけにはいかない。両脚を踏ん張り、磯の起伏に身体を固定しながら、数十メートル先の海面に浮かぶウキが海中へ引き込まれる瞬間を待ち続けるのだ。
海面に浮かぶウキは、道糸に取り付けられている。刻一刻と変わる水深や、その日その時に魚がいると思われる深さに合わせ、道糸に「ウキ止め」を結ぶことで、仕掛けが狙った深さで止まるように調整する。
その先には撒き餌カゴがあり、さらにその下には針が結ばれた「ハリス」と呼ばれるナイロンの釣り糸がつながっている。
ここで父から教わったのは、自然を相手にするからこその細やかな駆け引きだった。
チヌは警戒心の強い魚だ。そのため、魚から見えにくいようにハリスはできるだけ細くし、目立たせないほうが食いが良くなる。
しかし、細くしすぎれば、いざ大物が掛かったとき、その強烈な引きに負けて糸が切れてしまう。思ったよりも大きな魚が掛かり、ハリスごと持っていかれて悔しい思いをすることも一度や二度ではなかった。
大きなウキと撒き餌カゴをつけた仕掛けを、磯から沖に向かって力いっぱい投げる。そうすると、一気に大物が狙えるような気がしたものだ。針につけるのはオキアミなどの生餌である。
海中に撒き餌が広がると、その匂いに誘われて小型の魚たちが群がってくる。
子供の私には、浅いところには小さな魚が多く、深いところにはより大きな魚がいるように見えていた。
しかし、小さな餌をつけて仕掛けを落とせば、深いところにいる大型の魚に届く前に、手前の小魚たちについばまれてしまう。
大型の魚がいると思われる深さまで、針に餌がついた状態で仕掛けを届けるには、餌の大きさや選び方にも工夫が必要だった。
父の背中を見ながら、私はそんな仕掛けの奥深さを少しずつ覚えていった。
しかし、どれほど細かな配慮と技術を尽くしても、自然を相手にする釣りは思い通りにはいかない。
何より、当時の子供の私には、磯の上に数時間も立ちっぱなしで、滅多にアタリのない魚をじっと待ち続ける忍耐力など持ち合わせていなかった。
大きなチヌを狙って沖へ投げ続けても、一回の釣行で釣れるのはせいぜい1匹か2匹。あるいは、一日中粘ってもまったく釣れないという日も珍しくなかった。
大人の父ならいざ知らず、子供の私には食卓に上る魚のことなど頭になかった。
とにかく、飽きが来ない程度に頻繁に釣れてくれなければ面白くなかったのだ。
そんな退屈な時間や、なかなか大物が掛からない静かな時間になると、私はそっと自分の仕掛けを小さく組み替え、足元の磯周辺にいる魚を狙うようになった。
磯の足元を覗き込むと、そこにはまた別の世界が広がっていた。
海藻が生い茂る隙間を丁寧に狙い、岩に張り付いた牡蠣の殻や鋭い突起物に針が引っかからないよう、細心の注意を払いながら釣り糸をそっと垂らす。
すると、沖の静けさが嘘のように、小さなアタリが頻繁に返ってくる。
そして、その瞬間は突然やってくる。
どこに隠れていたのか、岩陰の暗がりから真っ黒な影が勢いよく飛び出し、一気に餌をくわえて走り出す。
それこそが、いつだって私たちの期待を裏切らずに姿を見せてくれる「アラカブ」だった。
釣れる魚のサイズは小さくとも、あの独特の力強い引きと、海面から引き上げたときのゴツゴツとした愛嬌のある姿は、退屈しかけていた私の心を一瞬で満たしてくれた。
どんな大物を狙うときよりも鮮やかに、その手応えは今でも私の記憶の中にしっかりと焼き付いている。

