おわりに:自分の剪定鋏を持つあなたへ~自宅の庭と暮らす歓び~
1.自宅は人生で一番長い時間を過ごす場所
6回の連載記事の最終回となりました。ここまでお付き合いいただき本当にありがとうございます。
私たちが人生の中で最も多くの時間を過ごす場所、それは紛れもなく「自宅」である。
仕事から疲れて帰ってきたとき、慌ただしい日常の合間にふと窓の外を見たとき、そこに広がっている景色がどのようなものであるか。それは、私たちの心身の健康や、日々のリラックスした時間に計り知れない影響を与えている。
手入れが行き届かずに伸び放題になった庭木や、放置された雑草は、やがて害虫の温床となり、住む人にとってもご近所にとっても心配の種へと変わってしまう。
かつて家族で賑わっていた実家が、高齢の母と二人、あるいは一人になったとき、その庭の維持は「年間12万円のコストがかかる重荷」として重くのしかかってきた。
「このままではいけない。自分たちの手で、どうにかこの庭の負担を減らさなければならない」
そんな切実な思いから始まった私の庭仕事は、決して最初から順風満帆だったわけではない。
古く不安定な四つ足ハシゴに冷や汗をかき、太い枝を前に途方に暮れ、時には「自分には無理なのではないか」と諦めかけたことも一度や二度ではない。
2.「自分の剪定鋏を持つ」という小さな一歩
しかし、一つひとつの壁を乗り越え、正しい道具を選び、木々の年間リズムを知るにつれて、庭との向き合い方は劇的に変わっていった。
安全な「三脚脚立」を手に入れ、高所や太い枝は無理をせず1~2年に1度のプロの力に賢く頼る。
その一方で、手の届く範囲の木々は、ツツジの開花後や紫陽花の7月、秋の金木犀や紅葉のタイミングに合わせて自分の手で丁寧に手を入れていく。
表面をただ丸く刈り込むだけの「手抜き」をやめ、内部に光と風を通す「透かし剪定」の技を覚えることで、ヒイラギやサザンカは本来の健康な姿を取り戻していった。
すべてを完璧に一人で抱え込む必要などなかったのだ。
「半分自分、半分プロ」というハイブリッドな分業スタンスこそが、高齢化する日常の中でも無理なく庭を守り続けるための確かな知見となった。
そして何より大きかったのは、自分でハサミを持ち、庭木に向き合うことで得られた「心の豊かさ」だった。
3.庭を創る楽しみを、すべてプロに任せるのは勿体無い
高齢の一人暮らし世帯や、実家の庭の維持管理に頭を悩ませている人は、日本中に数え切れないほどいるだろう。
「プロに依頼すればお金はかかるけれどすべて綺麗に済むのだから、素人が手を出すべきではない」――そう考えて、庭との関わりを完全に断ってしまっている人も多いかもしれない。
しかし、考えてみてほしい。
自宅の庭を整え、季節の移り変わりを肌で感じ、木々が花を咲かせ実をつけるプロセスを自らの手でサポートしていく。
その「庭を整え、創る楽しみ」のすべてをプロに丸投げして手放してしまうのは、あまりにも勿体無いことではないだろうか。
庭は、ただ管理して維持すべき「負担」ではない。
それは、日々の暮らしに彩りを添え、私たちの心を癒やしてくれるかけがえのないプライベートな空間である。
もしあなたが、ご自身の庭や実家の庭に対して、少しでも「自分で何とかしてみたい」「もっと庭の木々のことを知ってみたい」という興味や関心をお持ちなら、ぜひ迷わず自分の「剪定鋏」を手に取ってみてほしい。
4.完璧でなくてもいい、まずはできるところから
最初に完璧な仕上がりを目指す必要なんて全くない。
最初は不格好でもいいし、少し切りすぎてしまっても、植物の生命力は私たちが想像している以上にたくましい。
木々はちゃんとそれに応えて新しい芽を出し、次の季節にはまた美しい姿を見せてくれる。
「無理をしない」「焦らない」「安全第一で、不安を感じたらすぐにやめる」。
このマイルールさえ守れば、庭仕事は危険な労働ではなく、自分のペースで楽しめる最高のライフワークとなれる。
春の新芽に目を凝らし、初夏のツツジやハクモクレンの花後にハサミを入れ、梅雨のウメの収穫や紫陽花の切り戻しを行い、秋の金木犀の香りに癒やされながら、冬の休眠期にモミジの枝を透かす。
そんな自然の大きなカレンダーと一体になった生活は、私たちの毎日に静かな充足感と豊かなリズムをもたらしてくれる。
5.最後に:あなたの庭が、心地よい空間でありますように
自宅は、人生で一番長い時間を過ごす場所。
その場所が、あなたにとっても、あなたの大切な家族にとっても、心からリラックスできる快適で心地よい環境であるために。
あなたの手にあるその小さな剪定鋏が、庭の木々との対話を生み出し、暮らしの風景を温かく彩る最高の相棒となることを、心から願っている。

