映画『沈黙 サイレンス』レビュー
最近、私の実家の近くを流れる川で、護岸の修復のためショベルカーで川底を浚(さら)う工事をやっている。その光景を見て、川底から人骨が出てくるのではないかと心配していた。なぜなら、約400年前はちょうど川底をさらっている場所が、キリシタンへの弾圧で、多くの人々が処刑され、遺体を遺棄していた場所と言い伝えられている場所だからだ。
私は長崎に生まれたが、近所には教会もなければ、小中学校の同級生にもキリスト教徒はいなかった。島原の乱の舞台となった原城跡や雲仙の地獄など、過去のキリシタン弾圧の舞台となった場所と歴史については授業などで聞いたことはあるが、それ以上のことは何も知らなかった。
2016年に遠藤周作の小説『沈黙』をマーティン・スコセッシが映画化した『沈黙 サイレンス』が公開された。時代背景は1600年代〜1800年代の江戸幕府がキリスト教禁教令を全国に発令していた頃の長崎を舞台に、キリスト教の布教のために日本に来たポルトガル宣教師達とキリスト教を信仰する日本人の隠れキリシタンが受けた迫害と弾圧を描いた映画である。
公開と同時に映画館に足を運んで観た。映画を鑑賞している間、その当時の人々の信仰への葛藤や命を脅かされる恐怖と息遣いを少しばかり感じ取ることができた。キリスト教禁教令から260年も経った1873年に明治政府がキリシタンの禁制を高礼撤去するまで、日本には信仰の自由はなかったのだ。